思い出す
今朝テレビをつけたらひどい事件を報じていました。
日本でこんな事件が起きるなんてウソでしょ?と思いました。
亡くなった方とご家族には心よりお悔やみを、ケガをされた方には心からお見舞いを申し上げます。
この事件についての報道を見たり聞いたり読んだりしていたら、私が以前営業を担当していた旧・国立療養所を思い出しました。
昔は結核患者のための療養所だったようですが、今は重度の知的障害の方から肢体不自由児の方々がいて、近くには養護学校もありました。
療養所は廊下から枝分かれしている先に各病棟がある造りでした。
病棟の入り口はドアで仕切られていて、ドアの近くにあるインターホンでナースステーションとお話をする感じでした。
ナースステーションまで入って行ける病棟と入れない病棟があって、入っていける病棟は症状の軽い方たちの病棟だったかなと思います。
入れない病棟は、入口の辺りで大きな声を出しながらおもちゃで床を叩いてる人だったり、ベッドに寝たまま動けない人だったりと、重い症状の方が多かったと思います。
患者さんは廊下と病棟を仕切る辺りまで出てきて、たまに来る私を珍しそうに見てたりするので「こんにちは~(^^)」と声をかけるんですが、それでもじぃ~~~~っと見られたりして。
療養所から帰ると、なぜあのような障害を持って生まれてこなければならなかったのか、ご両親はどんな思いで子どもと接するのか、あの人達の未来とは・・・などなど、色々考えてしまってました。
報道を聞くたびに、療養所にいた患者さんのような人たちが犠牲になったんだなということがわかってきて、とても辛いです。
何が彼をそこまでさせたのか、注視したいと思います。
現在、療養所と養護学校は別の場所に移転したので、私は担当を外れています。
でもあの頃持ち歩いていた手帳は今も職場にあります。
注文をお願いされた時に受け取った切り抜きなどを貼っているのでパンパンです。
療養所と養護学校があった場所は随分長い間更地になっていましたが、現在デカイ箱物を作るための工事が始まっています。
時の流れと共に街の姿も変わっていきます。
それでは本日はこれにて。